天妙国寺について

歴史と沿革

天妙国寺縁起

弘安8年(1285年)日蓮大聖人の直弟子である天目上人により創建された顕本法華宗・鳳凰山天妙国寺は、京都妙満寺末の法華宗什門流の寺院であり、江戸触頭三ヵ寺の一寺として什門流寺院を統括する大寺であったとされています。

当寺は堂宇建立の時、天より鳳凰の羽が舞い下りてきたことから山号を「鳳凰山」と名づけ、また、本宗所依の経典である『妙法蓮華経』により国家安穏を祈る精舎として寺号を「妙国寺」と名づけましたが、現在では天妙国寺と改称しています。

第二祖・日叡上人の代に、顕本法華宗の開祖である日什大正師の門流に帰属した天妙国寺は文安元年(1444年)品川の廻船業者・蔵を生業にしていた熱烈な法華経信仰であった鈴木道胤が施主となり17年の歳月をかけ七堂伽藍を建立し品川郷に輪奐の美を誇りました。
また、文安3年(1446年)には鈴木道胤により梵鐘が寄進されています。

鈴木道胤によって建立された五重塔は品川郷の象徴として郷民の愛着の的となりましたが、慶長19年(1614年)台風により五重塔は崩壊されその哀惜する郷民の感情が師僧万里集九の詩集「梅花無尽蔵」にて詠まれています。

その後五重塔は寛永11年(1634年)に徳川家光の命により再建されましたが、元禄15年(1702年)に起きた江戸の大火に類焼し再び建立されることはなかったと言われています。現在では五重塔礎石として寺院内に残され品川有形文化財に指定されています。

徳川将軍家と天妙国寺

日蓮大聖人の直弟子、天目上人によって創建された天妙国寺は徳川家ゆかりの地でもあります。

天正18年(1590年)7月北条氏を破り小田原城を落城させた豊臣秀吉の命により関東への転封を命じられた徳川家康は江戸入府を果たします。江戸への入府前日に徳川家康が一泊した寺院が当寺天妙国寺と言われ、以来、将軍家との関係が結ばれたとされています。

その後慶長6年(1601年)家康による東海道の整備が進みより一層賑わいをもった品川には将軍家の別邸品川御殿ができ、鷹狩場があったことから歴代将軍が訪れていました。
第二代将軍秀忠は花見をしに約9回天妙国寺を訪れています。
また、歴代将軍の中でも最もよく天妙国寺を訪れたとされているのが、第三代将軍家光でした。祖父である家康を尊敬し、家康の趣味であった鷹狩りや花見をしに約36回天妙国寺を訪れていたという記録が残っています。

特に家光と天妙国寺との係わりは深く、台風により倒壊した五重塔は家光の手により再建されました。
こうして徳川家との関係ができた天妙国寺は堂舎の修築などは幕府の作事奉行の手で行われ幕府の保護の下天妙国寺は発展していきました。

顕本法華宗の教え

  • お釈迦さまを教主と仰ぎ、日蓮大聖人を宗祖、日什大正師を開祖として、経巻相承を宗是とする。
  • 宗祖が定められた大曼陀羅を御本尊として、篤く三宝に帰依する。
  • 妙法蓮華経と宗祖の御書を、教えの依りどころとする。
  • お釈迦さまの大慈大悲を信じて、努めて、菩薩の行を実践する。

天妙国寺の歴史

1285年(弘安8年) 宗祖日蓮大聖人中老・天目上人、妙国寺を建立
1444年(文安元年) 天妙国寺第二祖・日叡上人の時、日什門流へ帰属
鈴木道胤、大檀那となり本堂など、伽藍を整備
1459年(長禄3年) 鈴木光純の発願により五重塔を建立、七堂伽藍整う
1614年(慶長19年) 大風(台風)の為、五重塔倒壊
1634年(寛永11年) 徳川家光の命により、五重塔再建
1702年(元禄15年) 大火の為、五重塔焼失
1941年(昭和16年) 時の政府の命により日蓮宗と本門宗と合同
天妙国寺は日蓮宗本山の1つに定められる
1947年(昭和23年) 日蓮宗より脱退し、再び顕本法華宗として独立
天妙国寺も日蓮宗より脱退し、再び顕本法華宗に戻る

宗名由来

宗章紋:三つ竜胆橘(みつりんどうたちばな)

私たちの宗派「顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)」は、室町時代に開祖日什大正師によって開かれました。

このころ日蓮大聖人を宗祖とする宗派が林立していましたが、各宗派とも固有の宗名を持たず、法華宗・日蓮法華宗などと名乗っており、私たちの宗派は法脈を区別するために「日什門流」「妙満寺派」などの通称を用いていました。

明治9年(1876)、私たち日什門流は「日蓮宗妙満寺派」を公称しますが、明治31年(1898)に宗派の教義をより明確に表す「顕本法華宗」に改称し今日に至ります。

宗章紋:三つ竜胆橘(みつりんどうたちばな)

宗名の「顕本」とは、「開迹顕本」という法華経の教えを表現した言葉からとられたものです。その意味は、「インドでご入滅されたお釈迦さまは、本当は今もなお永遠の命を持ち続け、常に人々に慈悲の心を注いでいらっしゃる」ということであり、法華経の中心である「寿量品」の中にはっきりと説かれています。

の寿量品に示されたお釈迦さまを「ご本仏」と仰ぎ、お釈迦さまが説かれた最も深い真実の教え―法華経を、純粋に受け持ち続けている宗派、それが私たち顕本法華宗なのです。

ご挨拶

当山は今を去る730年以上の昔鎌倉時代に創建された寺院です。
私で第43代目となります。
室町時代から江戸時代にかけて大変隆盛を極め、江戸を代表する寺の一つと数えられていました。
今から6年前の平成24年に時代の要請と共に永代納骨堂を建設しました。

人、家族のあり方は様々ですが、供養する心は不変。
これだけは変わって欲しくはありません。
法華経の中に「不染世開法、如蓮華在水」という言葉があります。
蓮の花は泥沼にあっても美しい見事な花を咲かせます。
私達も世間の事に追われる日々でも、決してそれに染まったり流されたりせず、
信念を持って一人一人各々の色で見事な花を咲かせたいものです。
それぞれ違う種を持つ人なのだから。

顕本法華宗 鳳凰山 天妙国寺 第43世 住職 藤﨑 行学

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※開苑時間/午前9時~午後4時30分(年中無休)

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