天妙国寺について
歴史と沿革
天妙国寺縁起
顕本法華宗 鳳凰山 天妙国寺は、日蓮大聖人の直弟子である天目上人によって、弘安8年(1285年)に創建されました。
その山号は、堂宇建立の際、天より鳳凰の羽が舞い降りてきたという逸話に由来しています。
また寺号は、『妙法蓮華経』の力をもって国家安穏を祈るという意味を込めて、はじめ「妙国寺」と名づけられ、のちに「天妙国寺」へと改称されました。
天妙国寺は、第二祖・日叡上人の代に顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の開祖である日什大正師の門流に帰属。その後は時代の有力者たちの庇護を受けながら、長きにわたって多くの人々の信仰を集めてきました。
当寺が立つ品川の地は、古くから交通の要衝として栄えたことで知られています。その中でも15世紀中頃に豪商・鈴木道胤の寄進によって建立された五重塔を含む七堂伽藍は、堂々たる偉容を誇り、この地の象徴として人々に広く愛されました。
徳川将軍家と天妙国寺
当寺を語る上で欠かせないのが、徳川将軍家との深い関わりについてです。
天正18年(1590年)、徳川家康公が江戸入府の際、一夜の宿とされたのが、まさに当寺でした。それをきっかけに徳川将軍家との深いつながりが生まれ、江戸幕府より寺領10石の寄進を受け、2万2千坪の拝領地を有していました。
中でも三代将軍・家光公は実に44回にわたって来遊されたと、当寺所蔵の『御三代御成之覚』は伝えています。
また、品川の象徴として「鶴立翬飛」と讃えられた五重塔は、慶長19年(1614年)8月28日の大風により倒壊しましたが、寛永11年(1634)に再建されたのが家光公であることからも、当寺に対する敬愛の念が伺えます。
その後、五重塔は元禄15年(1702年)2月11日、四谷塩町より出火した大火よって残念ながら焼失してしまいましたが、当寺は今も変わらず品川の地で、人々の幸せと国家の安寧を願いつづけています。
顕本法華宗の教え
- お釈迦さまを教主と仰ぎ、日蓮大聖人を宗祖、日什大正師を開祖として、経巻相承を宗是とする。
- 宗祖が定められた大曼陀羅を御本尊として、篤く三宝に帰依する。
- 妙法蓮華経と宗祖の御書を、教えの依りどころとする。
- お釈迦さまの大慈大悲を信じて、努めて、菩薩の行を実践する。
天妙国寺の歴史
1285年(弘安8年) | 宗祖日蓮大聖人中老・天目上人、妙国寺を建立 |
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1444年(文安元年) | 天妙国寺第二祖・日叡上人の時、日什門流へ帰属 鈴木道胤、大檀那となり本堂など、伽藍を整備 |
1459年(長禄3年) | 鈴木光純の発願により五重塔を建立、七堂伽藍整う |
1614年(慶長19年) | 大風(台風)の為、五重塔倒壊 |
1634年(寛永11年) | 徳川家光の命により、五重塔再建 |
1702年(元禄15年) | 大火の為、五重塔焼失 |
1941年(昭和16年) | 時の政府の命により日蓮宗と本門宗と合同 天妙国寺は日蓮宗本山の1つに定められる |
1947年(昭和22年) | 日蓮宗より脱退し、再び顕本法華宗として独立 天妙国寺も日蓮宗より脱退し、再び顕本法華宗に戻る |
宗名由来
宗章紋:三つ竜胆橘(みつりんどうたちばな)
私たちの宗派「顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)」は、室町時代に開祖日什大正師によって開かれました。
このころ日蓮大聖人を宗祖とする宗派が林立していましたが、各宗派とも固有の宗名を持たず、法華宗・日蓮法華宗などと名乗っており、私たちの宗派は法脈を区別するために「日什門流」「妙満寺派」などの通称を用いていました。
明治9年(1876)、私たち日什門流は「日蓮宗妙満寺派」を公称しますが、明治31年(1898)に宗派の教義をより明確に表す「顕本法華宗」に改称し今日に至ります。
宗章紋:三つ竜胆橘(みつりんどうたちばな)
宗名の「顕本」とは、「開迹顕本」という法華経の教えを表現した言葉からとられたものです。その意味は、「インドでご入滅されたお釈迦さまは、本当は今もなお永遠の命を持ち続け、常に人々に慈悲の心を注いでいらっしゃる」ということであり、法華経の中心である「寿量品」の中にはっきりと説かれています。
の寿量品に示されたお釈迦さまを「ご本仏」と仰ぎ、お釈迦さまが説かれた最も深い真実の教え―法華経を、純粋に受け持ち続けている宗派、それが私たち顕本法華宗なのです。
ご挨拶
当山は今を去る730年以上の昔鎌倉時代に創建された寺院です。
私で第43代目となります。
室町時代から江戸時代にかけて大変隆盛を極め、江戸を代表する寺の一つと数えられていました。
今から6年前の平成24年に時代の要請と共に永代納骨堂を建設しました。
人、家族のあり方は様々ですが、供養する心は不変。
これだけは変わって欲しくはありません。
法華経の中に「不染世開法、如蓮華在水」という言葉があります。
蓮の花は泥沼にあっても美しい見事な花を咲かせます。
私達も世間の事に追われる日々でも、決してそれに染まったり流されたりせず、
信念を持って一人一人各々の色で見事な花を咲かせたいものです。
それぞれ違う種を持つ人なのだから。