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歴史と沿革

 
日什大正師  
 

開祖日什大正師は、鎌倉時代の後期正和3年(1314)、奥州会津(現在の福島県会津若松市)に父・石堂太郎覚知、母・清玉姫(蘆名四郎盛宗の子女)の間に武士の子として生まれ、幼名を玉千代丸、長じて権太夫国重と名乗りました。3歳にして文字を読み、6歳には四書五経を素読されたといわれます。長らく子供に恵まれなかった両親の深い愛情と期待のなかに育まれますが、15歳のとき両親を相次いで亡くし、出家を志すようになります。

 19歳で比叡山に登り、名を玄妙と改められると、各地の諸大寺を訪ね、38歳で比叡山三千の学頭となり、玄妙能化と称されるまでになりました。多くの学徒を教化された玄妙能化は、58歳のとき故郷会津へ戻り、時の城主・蘆名直盛の願いを受けて羽黒山東光寺の住職となられます。玄妙能化は、ここでもその名声を慕って集まる大勢の人々を教化されます。

 天授5年(1379)、66歳のときに、日蓮大聖人の御書『開目抄』と『如説修行鈔』をお読みになります。すると、長い歳月をかけて天台の教理を究めたものの、拭い去ることができなかった疑念が跡形もなく晴れていきました。玄妙能化は、名を「日什」を改めて改宗を決意されました。

 玄妙能化の改宗をこころよく思わない人々によって会津を追われた日什大正師は、下総真間(現在の千葉県市川市)の弘法寺を訪ねて門下となると、中山・法華寺にこもり日蓮大聖人の教えを深く学びます。しかしながら、宗風は廃れ、勢力争いに明け暮れる門下の現状を見ると、日蓮大聖人のご遺志を正しく受け継ぎ、立て直すことを誓い「経巻相承」「直受法水」の宗旨を立てて独立されます。これが、顕本法華宗のはじまりです。

 永徳元年(1381)、大正師は68歳のご高齢にもかかわらず、宗祖の帝都弘通のご遺志を実行に移され、公家や武家に対して、精力的に法華経の尊さを訴えられました。その年には、朝廷より洛中布教の綸旨と二位僧都の位階を賜わります。翌年、堀川のほとり六条坊門室町に「妙塔山妙満寺」を創建され、法華経弘通の根本道場を定められました。その後もたびたび国家諌曉を試みますが、明徳2年(1391)、78歳になられた大正師は妙満寺を弟子たちに託し、故郷会津にお戻りになります。

 そして、翌年2月28日、妙法寺において唱題のうちに泰然とご入寂されました。世寿79歳、ご高齢をかえりみず布教に専念された、法悦に満ちたご生涯でした。

 私たち顕本法華宗は、お釈迦さまと宗祖日蓮大聖人、開祖日什大正師を三聖と仰ぎ尊びます。私たちの願いは、お釈迦さまがお説きになった法華経と、宗祖が弘められたお題目を正しく受け継ぎ、開祖を信仰上のお手本として後世へ伝えていくことなのです。

 

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