遠州流元祖本松斎一得の墓 
本堂写真

 享保(きょうほう)3年伊勢亀山に生まれ。幼い時から学術・挿花・茶湯と学び15歳の時信松齋一蝶師に師事、27歳の時師命を受けて遠州流を創流ーする。
江戸浅草常林寺の住職でもあったので浅草遠州と稱した。八代将軍徳川吉宗公に作品を認められ松平の松の字を受けられ信享齋一朝を本松斎一得と改めた。
  初代春秋軒一葉にまなぶ。枝をたわめる技術に工夫をこらして浅草遠州流をおこした。
文政3年1月1日死去。103歳。江戸出身。法名は日寛。
  遠州流は小堀政一(遠州)を流祖とし、江戸中期に花人・春秋軒一葉がその花型の基礎を作る。やがて本家とも言える三大遠州流が貞松斎一馬、春草庵一枝、本松斎一得らによりそれぞれ正風遠州流、日本橋遠州流、浅草遠州流として興る。それまでの「わび・さび(詫び寂び)」という美意識に留まらず、人為的に計算された美、均整のとれた美を加味して「綺麗さび」とよばれる小堀遠州の美意識をそのまま花の姿に表現すると言われている。