伊藤一刀斎(いとう いっとうさい)
生年: 永禄三年 (1560)〜 没年: 承応二年 (1653)
本堂写真

○伊藤一刀斎 (一説に1560〜1628)
一刀流の祖で、33回の真剣勝負に一度も敗れなかったという。
  慶安2年(1649)の銘のある板碑型の墓。

○伊藤次郎助忠也の墓(一説に1560〜1628)
伊藤次郎助 忠也 生年: 慶長八年 (1603)〜 没年: 慶安二年 (1649) 四九歳
一刀流の祖で戦国時代の不世出の剣豪 伊藤一刀斎の弟子 三世の墓

江戸前期の剣術家。一刀流の開祖。生まれは近江国(滋賀県)とも伊豆大島(東京都)ともいわれる。幼名は前原弥五郎。剣客を夢見、十四歳のとき伊豆国(静岡県)三島で富田一放と勝負し打ち勝った。このとき三島神社の神主より名刀を与えられ、代々一刀流宗家に伝えられる「瓶割の刀」となった。のち江戸に出て鐘捲自斎の弟子となり、印可を与えられ伊藤一刀斎と名乗った。創案した組太刀は「刃引」「相小太刀」「五十本」「正五点」で、その内容は「当流剣術の要は事也。事を行うは理也」とされ、技術と理論の一致を求めたものであった。改名後も、諸国をめぐって技を争うこと三十三度、一度も敗れなかったと伝えられる。
伊勢桑名の船中で小野善鬼の挑戦を受けてこれを退け、上総国(千葉県)でも挑戦者を打ち破ったが、このときに弟子になった小野忠明に一刀流の二代目を継がせている 生没年未詳。

門 弟 / 古藤田勘解由左衛門(ことうだ かげゆざえもん)俊直
神子上典膳(みこがみ てんぜん/ 小野忠明・小野次郎右衛門忠明)
伊藤次郎助 忠也(ちゅうや)/小野次郎右衛門忠明の長男又は弟の説

剣豪三人
塚原 卜伝 / 生年: 延徳元年(1489)〜 没年: 元亀二年(1571)八十三歳
伊藤一刀斎 / 生年: 永禄三年 (1560)〜 没年: 承応二年 (1653)九十四歳 生没年未詳
宮本 武蔵 / 生年: 天正十八(1583)〜 没年: 正保二年(1645)六十四歳